はじまり
世話人の一人が廃校になった母校の校庭で
息子とボールを蹴っているとき
「ここに、原っぱがあったら」と思ったことが、はじまりでした。
ある日はサッカー、ある日は野球、駆けっこもいい!!
おじいちゃん、おばあちゃんも昔を思い出して!
よちよち歩きの赤ちゃん、ころんでも大丈夫だよ!
そして、親子で寝転がって空を見る
今のままでもステキな街だけど原っぱがあったら・・・・・・
きっと沢山の人が集まってくる。
そんな思いをもって、校庭の芝生化について調べてはじめました。
ニール・スミスさんとの出会い
いろいろと調べているうちに
烏取で芝のグランドを作っている方のサイトを発見
http://www.greensportstottori.org/
代表者ニール・スミスさんの考えに
「うん、うん、そうそう」と
思わず頷いてしまいました。
いてもたってもいられず、早速訪ねてみることに。
2007年9月23日のことです。
原っぱ再生でよかったんだ
「草は英語で?」
「Grass……ですか?」
「じゃ芝生は?」
「……??」
「Grass!!」
鳥取に住むニュージーランド人 ニール・スミスさんは、
「初めまして」の挨拶の後、そう聞いてきました。
ニール・スミスさんってどんな人?
ニール・スミスさんってこんな方です。
鳥取からの芝生改革(ニールさんのブログより)
「1974年に初来日した時以来、日本の校庭や運動場(グラウンド)が土であることに違和感を感じて生活をしていました。土のグラウンドが一カ所もないニュージーランドで育った人間にとって、固くて転んだら出血する日本の校庭やグラウンドが日本の子供達から外で思いっきり良く走り回り、安心して遊ぶ権利を奪っているように見えてしょうがないです。
行政や教育関係者にいくと「お金がかかるから」とか「芝生の維持管理が難しいから」とかはっきり言って、管理者の都合を最優先し、子供の健康や安全を完璧と言っていい程無視している姿勢にはもっと驚かされました。
いくら海外では芝生にはそんなお金もかかっていないと説明していても、口うるさい外人のくせにとかここは日本だからとか結局聞き入れてもらえることなく10数年が経ちました。
ところで1998年に妻の古里鳥取に来て生活基盤が落ち着いたら、色々な出来事や出会いを通じて、2004年から今の芝生化運動を何となくという感じで始めることになりました。
最初は自分がまだ健在のうちに気持ちよく芝生の上でラグビーが出来る地元クラブを作りたいのがきっかけでグリーンフィールドを整備し、またも何となくその延長線上で校庭や空き地を芝生にする運動を起こすようになり、今は自分でも恥ずかしいぐらい注目されています」
芝生って元々、そこに生えていた草を羊が食べたら
丈がいい塩梅になった…そんなものが始まりだったのです。
そう思うと芝生は当たり前にそこにあるもの
そう考えると私たちの遠い記憶の中の原っぱなのですね。
それなのに私たち日本人は
「芝生?お金がかかるよね?」
「芝生?世話が大変でしょ?」
お金持ちの庭にあるもの
公園にあるけれど、いつも囲いの中のもの
気を抜くとあっという間に枯れてしまうもの
「芝生」はいつの間にか特別なものになってしまいました。
「なんだ、原っぱでよかったんだ」
ニールさんの話を聞き
ニールさんのグリーンフィールドを見た世話人は
芝生に対する認識がひっくり返ってしまいました。
自分も、一緒にいった家族も納得!!
ところが帰ってその話をしても、他の人にはなかなか納得してもらえません。
理解者が増えてきた
ニールさんからのエール「勇気より根気」を合言葉に
PTAでしゃべる
飲み屋でしゃべる
道端でしゃべる
商店街でしゃべる
寄り合いでしゃべる
とにかくしゃべりまくっているうちに
段々と理解者が増えてきました。
そのうち、廃校になった当初の場所より、
「自分の子どもが通う小学校を芝生化したら?なぜしないの?」
誰が言い始めたのか忘れてしまいましたが
芝生化の対象はいつの間にか、南池袋小学校に移りました。